『ミスティック・リバー』に関する乱雑なメモ

■■■ネタバレ注意!■■■
・観賞直後はとにかく辛かった。顔を覆って泣きじゃくりたかった。あまりにも救いがなくて。デイブが、セレステが、マイケルが、あまりに不憫で。

・デイブの人生とは一体なんだったのか。デイブにとって友人や家族とはなんだっただろう。少年時代に握りつぶされた心。その上、妻にも友人にも信じてはもらえずに、ケイティ殺しの汚名を着せられ、殺されて。

・そしてわたしも、デイブを信じることはできなかった。それはこの映画がデイブに感情移入しにくいようにできているからだが、これは失敗なのだろうか、意図的なものなのだろうか。意図的なものなのだとしたら。「おまえだってジミーやセレステと同じじゃないか」と言われているようだ。いったいどこがちがうのか、と。

・パレードの中、ジミーは清々とした顔をしてショーンの視線を撥ね退ける。わたしはやはりその姿を嫌悪するし、その図太さを呪う。しかし「生き残る」という選択は、妻と娘たちへの愛によるものだという解釈もできる。ではデイブに対する思いはジミーの中でどうなってしまったのか。あのとき、ふてぶてしい表情を乗せていた彼の顔が、罪の意識に歪む日は訪れるだろうか。人間なら苦しまないはずがない、と思う。わたしがそう思うように、それは自明のことであるから描かれなかったのか。それとも?

セレステはあのあとどうなっただろう。哀れなセレステ。もしわたしがセレステだったら。夫を殺した自分とジミーと、全てを知りながら許容するアナベスへの憎悪で気が狂ってしまうんじゃないだろうか。

・ショーンがジミーに対してとった、銃で撃つポーズの意味は。あれは「俺は必ずおまえを追求する」という宣戦布告だったのだろうか。だとしたら、それはこの映画の唯一の救いになり得るのだけれど。