春夏秋冬そして春

正直、ヨーロッパ向けに愛想笑いしちゃったかな?と思われる部分がなくもない、
つーか「本人にそのつもりがなくてもそうとしか見えませんよ」だったり、
人生を四季に喩えちゃうなんてありがちだしなあ、
ちょっと説教臭いし、
でもね、最後の「冬」のシークエンスを自分で演じたことによって、
麦っ子的には全て帳消しです!やったー!
監督は「キム・ギドクからも映画からも逃げ出したい」と思ってこの映画を作ったそうですが、
だめだめ、ギドク兄さん、
逃げても逃げても自分からは逃げられませんよ義体にでもならない限り(藁
で結局逃げられなかったのね。逃げた先の先にお釈迦様ならぬ自分がいたわけでしょう。
人生についての映画を作ってきて、最終的に、全部自分に還ってきちゃう、
それはもうあまりにも当然のことなんですが、
そこで「じゃあ自分で演じてしまおう」という直截さ、(バカ)正直ぶり、
これは今、世界を見渡してもちょっと比類がないのではないか、と思うわけです。
まー、たしかに半裸で修行シーンはなんかうれしそうなんでちょっと笑ってしまいましたが…
いや!そんな、ただの出たがり見せたがりとか、それだけじゃないと思う…のよ。マジで!
じゃあなんなのよ、というとですね、
キム・ギドク映画の「悲痛」は彼自身の悲痛であり
キム・ギドク映画の「残酷」は彼自身の残酷である、ということの、
この映画は、あまりにも端的な「顕われ」であり「告白」であり「宣言」であるなあ、と。
そして、その抜き差しならなさに、わたしは大変興奮してしまったわけです。
要するにこの映画は「キム・ギドクの『麦っ子宣言』」ってことですよ!ヤッタネ!